歴史と由来

History01

第十番札所 切幡寺

機織り娘の伝説が伝わる第十番札所 得度山 灌頂院 切幡寺。境内には、ハサミと布を手にした、はたきり観音が立っています。
弘法大師がこの地で修法していた際、僧衣のほころびを繕うために機織りの娘に布きれを所望したところ、その娘は織りかけの布を惜しげもなく差し出しました。貧しい娘の厚意に感激した大師が願い事はないかと訊くと、娘は、亡き両親のために観音様をつくってお祀りし、自分も仏門に入って精進したいと頼みました。大師は娘の願いを聞き入れ、千手観音像を一夜にして仕上げ、娘を得度させ灌頂を授けたところ、娘は七色の光を放ち、たちまち千手観音菩薩に姿を変えました。弘法大師はこのことを時の嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願により堂宇を建立し、自ら彫った千手観音像を南向きに、娘が姿を変えた千手観音菩薩を北向きに安置し、本尊にしたと伝えられています。このため、女人済度の寺として名高く、古くから女性の参拝者が多いことで有名です。
山の中腹に建つ本堂までは、男女の厄除坂の石段を含む333段の石段が続いています。本堂の脇から不動堂、そこからさらに56段上ると、国の重要文化財に指定されている大塔があります。大塔からは吉野川と四国山地の雄大な景色が一望できます。

厄除けの石段がつづく切幡寺
厄除けの石段がつづく切幡寺
国の重要文化財に指定されている大塔
国の重要文化財に指定されている大塔

History02

明治創業 スモトリ屋

巡拝用品や掛軸、仏具の卸や小売をはじめて約130年。初代店主・伊勢吉の相撲好きから、屋号をスモトリ屋と称し、相撲取りの絵を店のトレードマークとしました。伊勢吉は、『遍路道中図』や『同行案内』といった地図・ガイドブック、さらには巡拝に必要な経本や弘法大師にまつわる伝説をまとめた冊子なども製作・販売し、遍路文化の普及にも積極的に取り組みました。
一番霊山寺から十番切幡寺は、吉野川の北岸、十里のうちに十カ寺が密集しています。地元では古くから先祖供養をかねて「十里十カ所」をお参りする習わしがあり、八十八ヶ所をお参りするお遍路さんはもとより、地元の人々でも賑わいました。
また、十番切幡寺は、一番から歩いて、2日目の午後に到達する札所であり、次の十一番藤井寺までは吉野川を渡る必要があることから、かつて、切幡寺の参道には多くの宿屋が軒を連ねていました。当店も戦前までは宿も営んでおり、当時の建物が店の前にそのままの形で残っています。今では、建物の縁側は歩き遍路の方の休憩の場、荷物置場としてご利用頂いています。

初代店主・浅野伊勢吉
初代店主・浅野伊勢吉
初代伊勢吉が制作したとされる遍路道中図
初代伊勢吉が制作したとされる遍路道中図
女性や子供でにぎわう昭和20年代のスモトリ屋
女性や子供でにぎわう昭和20年代のスモトリ屋

History03

歩き遍路のすすめ

弘法大師ゆかりの霊場八十八ヶ所をめぐる巡礼の旅を遍路といい、庶民に定着したのは江戸時代初期と言われています。八十八ヶ所の1周は1,400キロにもわたり、歩き始めるには相当の時間とお金、それに伴う覚悟や目的が必要と思われるかもしれません。人それぞれ事情は異なりますが、手始めに一番から十番まで、十里十カ所を歩いてみてはいかがでしょうか。歩くうちに、心が癒され、苦しみや煩悩から解き放たれる瞬間が訪れ、旅を続ける真の目的を見つけることができるかもしれません。
一番札所から参拝するお遍路さんにとって、切幡寺は最初に出会う山寺です。急勾配の坂道、333段の石段がつづきます。八十八ヶ所を巡拝するお遍路さんには良い足慣らしとなりますが、重い荷物を背負ってお参りするには大変な参道です。是非、当店に荷物を預けて身軽にお参り下さい。

白装束に身をつつんで歩く遍路 白装束に身をつつんで歩く遍路

参道マップ